最近のニュースを見てて思うこと。
日本の歴史を振り返ると、民衆が自らの意志で立ち上がり、社会を変えようとした例は数多くあります。
その代表的な思想の一つが、幕末の思想家,教育家の吉田松陰先生が唱えた「草莽崛起(そうもうくっき)」です。
幕末の動乱期、松陰先生は武士や藩の上層部だけではなく、志を持つ民衆こそが時代を動かすべきであると説きました。
一方、現代の日本では、選挙という形で民衆の意思を政治に反映させるシステムが整っています。
しかしながら、その権利・責任を行使しない結果、投票率の低迷や政治への無関心が叫ばれる中、本当に国民の力が発揮されているのでしょうか。
今こそ、「選挙」を現代の「草莽崛起」として捉え直し、国民が真に立ち上がるべき時ではないでしょうか?
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「草莽崛起」とは、支配層だけではなく、市井の民や志ある者が一斉に立ち上がり、国の未来を切り開くことを意味します。
幕末の日本は、封建制度の限界が見え始め、開国か攘夷かという国家の存亡が問われる時代でした。
松陰先生は、幕府や藩の権力に頼るのではなく、民衆一人ひとりが国のために行動しなければならないと説きました。
彼の考えは、武士だけでなく庶民や商人にも広がり、明治維新の礎を築くことになりました。
つまり、草莽崛起とは、特定の支配層ではなく、民衆が「国家の主人公」として行動することを指している。
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現代日本では、戦後の民主主義の発展によって、国民は「主権者」として政治に関与する権利を持っています。
その最たる手段が「選挙」です。
しかし、実態を見ると、政治に対する無関心や、選挙に対する諦めの雰囲気が漂っている。特に若者の投票率の低下は深刻な問題であり、彼らが政治に関心を持たなければ、未来を変えることはできない。
こんな雰囲気を作ってきたのはどの時代も彼らより少し先を生きる我々年長者ではないでしょうか?
選挙には行かない。でも、政治が悪い、日本終わった、と文句だけいう。まぁ自分は関係ないからと次世代を考えず個の尊重だけしている。
そんなことでいいのでしょうか?
松陰先生の時代には、選挙という手段はなかった。
そのため、彼は民衆が直接行動を起こすことを求めました。
しかし、現代では選挙があるにもかかわらず、多くの人がそれを活用しようとしない。これは、国民が与えられた権利を十分に行使できていない証拠ではないでしょうか?
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現在の日本は、多くの課題を抱えています。
少子高齢化、経済の停滞、国際社会での立ち位置の変化、さらには政治の劣化、国力の低下など、数え切れないほどの問題が山積している。それにもかかわらず、多くの国民は政治に対して「どうせ変わらない」「誰がやっても同じ」という諦めの姿勢を取っている。
しかし、歴史を振り返れば、時代を変えたのは常に「草莽」である。松陰先生が説いたように、一人ひとりの行動が社会を変える力になるのだ。もし国民が「政治は遠い存在」と考え、選挙を放棄するならば、それは幕末に志士たちが戦わずに幕府の支配を受け入れたようなものだ。つまり、選挙に行かないことは、現代の「無血の敗北」なのだ。
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(1) 選挙を「志の戦い」として捉える
幕末の志士たちは、命を賭けて国を変えようとしました。現代では、選挙という形で意思を示すことができます。
つまり、投票に行くことが「現代の草莽崛起」です。ただ単に「誰に入れるか」ではなく、「どんな国を作りたいのか」を考え、志を持って投票すべきです。
また投票後はその政治を監視していく必要があります。
(2) 政治家任せにしない
選挙で選ばれた政治家が期待通りの行動をしないこともある。しかし、それは国民の責任でもある。政治は「選んで終わり」ではなく、「監視し、意見を伝えること」が必要です。
幕末の志士たちは、ただ政府を批判するだけでなく、自ら行動し、意見を示した。同じように、現代の国民も、SNSや市民活動を通じて政治に関与することが求められます。
(3) 若者の参加を促す
松陰先生が松下村塾で若者を育てたように、現代でも次世代に政治の重要性を伝えていく必要があります。学校教育や社会活動、また家庭の中で、「なぜ政治が自分たちの未来に影響を与えるのか」を伝えることが、真の「草莽崛起」に繋がります。
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吉田松陰先生の時代には選挙はなかったが、彼が求めた「民衆が立ち上がること」は、現代においても変わらぬ真理です。
そして、現代における「立ち上がる手段」は、まさに選挙です。
選挙に行かないことは、現代に生きる我々が「草莽崛起」を放棄することを意味します。
逆に、投票に行き、政治を監視し、意見を伝えることこそが、志士たちの精神を受け継ぐ道です。
今こそ、国民が立ち上がる時!
かつての志士たちが国を変えたように、我々もまた、未来を切り開くことができる。
「選挙こそ、現代の草莽崛起」
──この言葉を胸に刻み、一歩を踏み出しましょう。